父と第九2014年03月13日

過ぎた2月の事だけれど、ちょっとつれづれ。


今年の2月後半、父の7回忌がありました。
父がいなくなってもう6年が経ったのです。

こう言うと、なんかピンときません。

こう言えばいいかな。 父は6年前まで生きていました。

たった6年前は、父の声も聞けたし、体をさわれたし
「おと~うさん」って呼ぶことも出来ました。
すぐそこに居てくれました。

そして6年前は59歳でした。
ただ、6年経っても59歳です。
今年同じく2月前半にあった祖母の米寿のお祝い会には、
父は笑っている写真となって参加しました。

7回忌の法要があった夜、テレビをつけたら第九をやっていました。
去年の暮れに行われたクラシックコンサートです。
それをなぜかこんな2月の後半に。

「お父さんが第九を聞きたくなったんだね」

父は第九がとても大好きで、
指揮者や楽団、歌手が違う色々な第九のCDを聴き比べていました。
とくにカラヤンが好きでした。

偶然とはいえ、嬉しかったです。
久しぶりに第九を聴きながら父とゆっくり過ごしたような。

思えば6年前、覚悟はしていたものの父の「死」はやはり衝撃で
最初の一年は、ただただ父の運命を嘆いてやりきれませんでした。。
2年目になると、「去年の今ごろは」といちいち思い出がよみがえり
3年目にして、もう居ないんだという生活をしみじみ感じました。
悲しみが色々に変化していきました。

いつもその圧倒的な悲しみを心のどこかに抱えたまま
いつ噴き出すとも知れずに日常を過ごしていました。

最近はもう、悲しみが暴れだすことはそうありません。
ただ、ふとしたことで思い出されるのです。

そして漠然と、父を近くに感じたりするのです。
ただ父を亡くしたという私でもこんなに時間がかかります。

なのに、まだたったの3年しか経っていないなんて。

あまりにも多くの方々がそれぞれの悲しみを抱えています。
ひとくくりにしては考えられないそれぞれの悲しみ。

3月11日を思うと、胸に突き刺さるものがあります。
私の場合とは比べようもないたくさんの悲しみを抱えながら
さらに力を振り絞らなければ前に進めない。

私は「3.11」という無機質で記号のような言い方に
強い違和感を感じてしまうのです。

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